言葉の野原〈2〉

 

2023329

今日は結婚記念日。42年目の「フク日」である。「29日はフクの日だからきっといい日々がやってきますよ」と祝われて結婚式を挙げた日。

 結婚するまで、わたしが東京圏外に出たのは、修学旅行を含めて数えるほどしかなかったので、家庭でも学校でもラジオでも日本語=標準語だった。関西アクセントや方言があるのは知っていたし、東京にも土地言葉はあったが、折りにふれて標準語を話すように指導された。考えてみれば、観光旅行などで他所を訪れても、観光というルートにのっている限り、旅館も交通機関も、幾分かの抑揚や語彙の違いを交えながら、やはり標準語対応だったのである。体験をもたない子どもの感覚では、日本中の何処でも標準語で生活が営まれているような気持ちでいた。

 若いときは、バカバカしいほど己の無知をしらずにいられるものだ、と今では思う。夫は信州の人である。わたしが結婚前に思い描いていた信州は、ときどきスキーに行くときの、遠く銀嶺をのぞむ風光明媚な寒冷地であった。土地には太古の昔から積み上げられた時間が層となって沈黙をまもっていることなど考えもせず、勝手に休日を楽しんで帰ってきた。信州の山は美しいわねえ、などと言いながら。言葉もしかり。人々が受け継いできた土地言葉に潜む、長い長い時間の息づきなど考えてもみなかったのである。

 夫は三男だったから実家へ帰るのは盆と正月。その数日間だけ、わたしも跡取りの嫁と肩を並べ、信州の嫁になって台所で立ち働く。都会の暮らしとは違う大家族の秩序があって食事を調える女たちは忙しい。ほとんど座る時間がなく働いている

「こんなに忙しいとヤダクなっちゃうね」

と跡取りの嫁が耳元で囁いた。

「たしかに」

その人には気の毒だが、数日の我慢だとわたしは自分を励ました。今、跡取りの嫁は優しい姑になっているだろうか。

近年出会った短歌が心に残っている。

  三越のライオンが見つけられなくて悲しいだった、悲しいだった

平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

 反復される「悲しいだった」が強く印象に残る。悲しかったときの状況がそのまま思い出されるのである。「悲しかった」では心情の説明になってしまって迫力がない。

 結婚するまで聞いたことのなかった信州の「ヤダクなる」は「嫌になる」という意味である。「嫌になる」より直接的で力強く現場感があった。へええ、そんな言い方するんだ、と驚き記憶に残ったのである。記憶をたどると、食卓を囲む大家族の会話には、「このごろ体が動かなくて俺はセツネエダ」「あの娘はカワイカッタダねえ」などという言葉がとびかっていた。「切ない」「可愛かった」に「ダ」がつくと、押し出しがつよく実感がこもる。「ヤダくなる」があるのなら「ヤダい」があっておかしくないし、「切ないダ」というなら「ヤダイダよ」があるかもしれない。「悲しいだった」の語感に通じて、実にリアル。その土地に育った言葉である。(2023.03.29

 

 

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