ブログをはじめました

2022年の歳末に冊子「天霧」創刊号が形となった。  

同窓というのはいいものだ、とこの頃おもう。何十年間、何の音信もなかったのに或る日の電話のなりゆきで冊子の創刊に誘われた。豊頬の少年も薹の立った紳士になっていたが、親しさは時間を超えて変わらなかった。「気楽な場所にしましょう」とのやわらかい言葉が嬉しくて気軽に話にのったのだった。それから数年、わたし1人が足を引っ張って今に至ってしまった。申し訳なかったけれど、老紳士2人は咎めるふうもなくにこやかに「天霧」の創刊を喜び、ブログを始めることになった。PC嫌いで負んぶに抱っこのわたしも、半世紀前の武蔵野の学園生活が懐かしく、おそるおそるブログに加えてもらうことにした。どこかで中学高校時代の記憶につながっていたいのだ。

「己の欲するところにしたがえども矩をこえず」と中学3年生の漢文の授業で習って以来、ずうっとこのフレーズが重石のように胸底にある。漢文の柳沢三郎先生はいつも細いネクタイをしていた。中国語に堪能で、何もわからない中学生に原語の発音で漢詩を読んで聞かせた。すこしも中国語を知らずに聞いていた中学生も、大きな声の抑揚に、中国の広い大地を想像したものだ。内容理解がとどかなかったのは論語も同じだったが、70歳になると澄んだ境地へ達するものなのだなあと、遥かなる山を望むごとくにおもった。電車の中に老人がいると、「この人はもう矩をこえないのだろうか」と考えた。人生の節々でとりとめもなく思い出しては、柳沢先生のゴツイ顔とともに、またそうっと心にしまっておいた1節である。

わたしは70歳をこえた。まだまだ「己の欲するところにしたがえども矩をこえず」とはいかない。それどころかますます人生の深みに嵌り込みそうだ。同窓の友人の存在が、ふと仮そめならぬことに思える。(2023.02.21

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