Keikoの短歌日乗〈2〉

2023年3月7日

鴻巣に住んで35年になるが、東京方面に出ることが多く県内を歩く機会は少なかった。交通機関が東京へむかってのび、県内の移動は車に頼るという交通手段の事情も一因ではある。

ながく越生梅林に行ってみたいと思っていた。散歩日和のあたたかな日に、鴻巣短歌会のメンバー5人で吟行にでかけた。室内の意見の交換とは別に、解き放たれた外光のなかで花の香を楽しみ親しく語らう吟行は短歌のゆたかさの一つだ。

梅の花が咲き始めると、思い出す歌がある。

いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅 玉城徹(『馬の首』所収)

この「貧しき路」の背景は敗戦後の日本の風景ではあるが、わたしは何時からか脳裏に、コンクリート住宅が建ち並ぶ前の東京郊外の風景、あるいは農村風景の象徴として考えるようになった。梅の花のイメージが、しだいに世相から普遍に転化したのである。

 越生梅林が近づくにつれて、里山の麓の家の広い庭やそれに続く畑には、白く咲き盛る梅 の木が点々と数を増し、白い塊が車窓を過ぎて行くようになった。背後に見える山は裸木に覆われたままだ。畑や野原も芽吹きの前である。その中に、梅の木が青い空へ向かってまっしろな花を掲げている。風景のあちらこちらに点在する花は、整然としているわけでもなく、また無秩序というわけでもない。まさしく「神の遊びのごとく」であった。(2023.03.07


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