言葉の野原〈3〉


2023年4月7日
「 恍惚の人」と「認知症」

  往年の大女優として知られている高峰秀子は、名エッセイストでもあった。没後十余年を経て読んでもシャープで生き生きとした文章は読者の心を躍らせる。特別に好きというのでもなさそうだったが、父はわたしたち家族の前で、デコちゃんデコちゃんと友だちででもあるかのように呼んでいた。が、これほどの文章家とは知らなかったのではなかろうか。文章もいいが、生き方もいい。デコちゃんの生き方こそ「從心所欲、不踰矩」(論語)というものだ。デコちゃんのエッセイにわたしは魅せられている。1978年刊行の『いっぴきの虫』は高峰秀子の著名人へのインタヴューを織り込んだ21章である。中の一つに有吉佐和子の章がある。久しく聞かなかった名前に出会い、往年の記憶がよみがえった。

学生の頃、よみうりホールで行われた有吉の講演を友だちと聞きにいったことがあった。著名な評論家や小説家を揃えていた夏休みの連続近代文学講座に申し込んだのだった。有吉はそのひとり。靴音高くツカツカッと出てきて、真直ぐに言いたいことを話し、はい、これで任務終了とでもいうかのように舞台を去っていった。けっして愛想を言わない人だと思った。文章家が聴衆に媚をうってどうする、という佇まいである。

有吉佐和子の『恍惚の人』は、まだ認知症という言葉もなかった1972年に刊行された。今でいう認知症/介護の問題を初めて小説にして当時のベストセラーになった。書くための調査に10年を費やしたという。映画化され、さらにテレビドラマにもなり、「恍惚の人」は流行語になった。

学園闘争の盛んなときで、通っていた大学は休講が続いていた。わたしは偶にアルバイトをする他はテレビを見たり本の乱読したりで無為の時間を送っていた。見栄をはって難しい本を意味も解らずに買い込んで読んだつもりになっていたのだろう、何を読んだのかほとんど忘れてしまったが、『恍惚の人』は強く印象に残っている。核家族化がグィーンと進み、わたしたち戦後世代の日常には、もうじき定年を迎えようという大学の老教授たちを例外として、老人と呼ぶような高齢者との直接的触れあいは殆どなかった。否、老人と出会っていても眼に入らなかったのかもしれない。

だから、『恍惚の人』を読んだところで恍惚の姿は映画やドラマの中の出来事とかわらず、空想の域を出なかった。ましてや介護がもたらす介護者/被介護者の精神的重圧や家庭崩壊は、後年、母の介護をするまで、まったくの他人事であった。「介護」という言葉すら聞いたことがなく、「死」の前に「老い」の大問題が控えていることなど理解しようがなかったのである。「へえ、そんなこともあるのですね」と、一瞥ののち通り過ぎた。

幼いときに近所の大人が「あそこの家のバアサンはこのごろボケてきた」と言っていた。夫の実家にいって「タケさんは異なものになっちまった」というのを聞いた。「恍惚の人」も含めて差別的歴史がひそむためだろうか、今では一括して「認知症」である。(2023.04.07)



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