言葉の野原〈1〉

2023年3月18日 Kは短 歌仲間の1人だった。茶道の先生をしていた。ずいぶん年齢が離れているにも関わらずウマがあったらしく、この人生の先輩に、 わたしは育児や人間関係のゴタゴタを相談した。Kは たいそう贔屓にして 未熟なわたしを叱咤激励してくれた。痛いところを率直に 突かれるのもしばしばだったが、Kと話したあとは心が温かくなり、今から思えばカウンセラーのようだった。 Kはしばしばお茶の話をしたが、茶道のよさがわたしにはまったく分からなかった。どうしてわざわざ狭苦しい部屋でチマチマと一椀の茶を回し飲みしなければならないのか。どうして高価な書画骨董を所有しそれそ出し惜しみするように客人に見せるのか。どうして自分の流派や師匠を自慢げに崇め奉るのか。不思議でならなかった。あるとき、Kに日ごろの不思議を質問した。あとから思えば相当無礼な質問だったかと思う。Kが生涯かけて打ち込んでいる茶道を貶めるような質問だったかもしれないと思うと身が縮む。しかしそのときはただ、不思議を不思議と言っただけだったのである。 しばらくして「あなたのために茶会をひらいてあげるわ」と驚くべき誘いを受けた。わたしは手順も作法も道具の価値もわから ないし教養もないので、すっかり臆して辞退した。するとKは、ますます意を強くして「あなたのような人に、お茶の素晴らしさを教えたい。やってみなければよさは分からないものよ。あなたと同じような人を呼ぶから大丈夫」と、さらに驚くべき親切と厚意をもって誘う 。茶会のイメージを描けないまま、それではと甘えることにして、厚かましくも恐縮しながらそろそろと K の家を訪ねたのだった。 K の弟子でやはり短歌仲間の M が、待合から手水をつかい小間の狭い戸を潜るまで、丁寧なレクチャー付きで案内してくれた。顔見知りの短歌仲間 6 人ほどが小間の畳に正座した。外の水音に耳を澄ましましょう、障子がかげる光の加減に注意をかたむけましょうとその都度詳しく教えをうけた。床にかかる滝の墨絵が涼を呼んでいたのを覚えている。水屋から K が現れてお薄をいただく。6人は神妙にお 茶をいただき茶碗を拝見した。和やかな空気が漂い、気持ちがシーンと静かになった。 ここで終わりかと思うと、今日はほんとうの茶会を一通り行うのだという。ほんとうの茶会とは食事がつくのであった。 鐘の...